1997年8月24日日曜日

ぺーどら日記1 15年目の奮起

私はペーパードライバー歴、少なく見積もっても15年ほどのベテラン?優良ドライバー。そう、運転しないんだから、違反しようったって出来ない、名誉あるゴールドカードの持ち主である。今までは、ずっと営業マンのオットの自由になる時間や近所のお友達の好意に甘えて生活してきた。喘息持ちの子供の病院通い、スイミング、etc・・・。
この「のほほん」とした生活の中で長いこと眠っていた私のやる気を揺さぶり起こしたのは、今まで一緒にスイミングに行ってくれていた近所の友人の言葉だった。
「これからは、まだどうなるかわからないから」
友人の旦那様のお義父さんや、実のお母さんが病院通いをすることになり、地元っ子の彼女は通院や手伝いにととても忙しくなりそうなのだという。「ふ~ん、大変だね」と言いながらも、最初は2、3週間のことだろうと思っていた。しかしよっぽど大変らしくて、その後彼女からの連絡が入らなくなってしまった。それではと、こっちから「今週は大丈夫?」と聞いたりしていたのだが、返事は芳しくなく、スイミングには行けるけど、合間をぬってあちこち行かねばならないので、私達親子と一緒は無理ということになってきたようだった。彼女からはっきり言われたわけではないが、やっぱり言いづらいものなのだろう。私はそのニュアンスを感じていた。

もう、こうなったら自分で運転するしかないぞ! と決意した。頼めばオットは送ってくれるだろう。他にも乗せてくれる友人はいるだろう。しかし、これではいつまでも同じこと。今まで、ことあるごとに車を持っている友人の好意に甘えてきた。幼稚園の行事や何かで遠くまで出向かなければならないときも、お伺いを立ててきた。しかし、それも、もうたくさんだ。オットの顔色をうかがいながら「自分の子供のことなのに」と腹を立てている自分がイヤだ。誰にも頼らず、自分の力で自立したい。それが私にとって、ペーパードライバー返上ということであった。

その時、私の頭にあったのが教習所のペーパードライバー講座のこと。もうかなり前に、やはり子供の送迎にと免許を取ったお母さんから、そういう教習があると聞いていた。しかし、その時は1回1万円とかいうベラボーな値段で、確かめる気もなく自分の中で却下された。それほど必要に迫られている感じがしていなかったせいもある。しかし、今度は違う。私が運転できれば、ジナンはスイミングを続けられるのだ。どうひいきめに見ても運動神経が良さそうとは言えない彼にとって、スイミングくらいは続けさせたいと、切に願う親心。喘息治療にも効果があるというし・・・。

見学席のガラス戸の向こうで、ジナンは本当にいい顔をして笑っていた。その笑顔を胸に刻みつけて、よっしゃ!とひとり活を入れる。一緒に見ていた他のお母さん達に「ねえ、ウチからだとどこらへんの教習所がいいかな?」と情報収集した結果、車で5分ほどのところにある教習所が候補にあがった。ここは、幼稚園でスクールバスを頼んでいるところでもあり、その時の運転手さんの印象も良かった。送迎バスもあり、当たり前だが車がなくても通える。家に帰ると早速電話。問題は、いったいいくらかかるのか?ということだ。家計を預かる主婦でもあることだし、まずそこが第一関門だと言っても良いだろう。

入学金6,000円。教習料は校内4,500円(約50分)、路上4,800円。オートマ車の場合は各100円増し。「これなら行けそうじゃない?」電話で説明を聞きながら、私はもう運転出来るようになったような気分でワクワクしてきていた。ベテランドライバーとして、東京での里帰り中の足となってくれる妹はオートマ派で、話を聞いて「オートマは楽だよぉ。絶対オートマにしな」と勧めた。うんうん、100円くらいは違ってもいいかな?と、すぐその気になる単純な私。まだ、オットの許可も得ていないのに・・・。これから第二の難関にアタック!なのである。